浄土真宗親鸞会☆親鸞学徒の本道を行く
友人から受けとった浄土真宗親鸞会発行の『顕正新聞』に、こんな記事がありました。
ある親鸞会の講師の投稿記事なのですが。。3年前、真宗大谷派の住職夫妻が、親鸞会館に訪れたそうです。住職はそうとうの影響力のある人のようで、親鸞聖人750回忌にむけて、僧侶養成機関をつくり、後継者養成のためのヒントを求めて二千畳にやってきたといいます。会館に入ると、次々と明るく挨拶してくる若者の姿に驚いて、「若者は、何をしても寺には寄りつかないのに、親鸞会にはたくさんいる。若者集めのどんな秘訣があるのか知りたい」と、ある寺院出身の親鸞会講師に尋ねてきたそうです。
「何の秘訣もありません。『正信偈』など親鸞聖人のお言葉を示し、一言一言、詳しく丁寧にだれにでも分かるようにお話するだけです」と答えたところ、「そんなことで人が集まるか」といぶかって帰っていったそうです。
しかし、昨年末、その講師が帰省すると、大谷派の京都教務所から末寺に、「親鸞聖人のお言葉に学ぶ」と題して、紙が配布されていた。これまで、大谷派の出版物や配布物には、きまって清沢満之や曽我量深の言葉があふれていたのに、と大変驚いたといいます。どうやら、親鸞聖人のお言葉を出して、お話していこう、という趣旨らしいです。「無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」や「念仏者は無碍の一道なり」などのお言葉があげられているようです。「自性唯心に沈んで浄土の真証を貶し」のお言葉も挙げてあったらしく、一体、大谷派がこれをどう説明するのか分かりませんが、真宗界に大混乱が起きていることが伝わってきました。
同じ紙面に、「親鸞学徒の本道」というタイトルでこのように書かれてあったので、紹介します。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「親鸞学徒の本道」
多く沈滞する中で、親鸞会はどうして躍進し続けるのか、原因探求の声が聞こえてくる。更に珍しいことはない。
親鸞会の歴史は、ひたすら親鸞聖人の教えの開顕だった。
「私はああだった」「こうなった」は私事である。
私事を説かれなかった覚如上人、蓮如上人のように、専ら親鸞聖人の教えと、他力の信心徹底に努めてきた結果と知る人は少ない。悲しいことだ。これが親鸞学徒の本道だからである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
.jpg)