浄土真宗親鸞会の行事
平成20年6月7日(土)8日(日)親鸞会館で、親鸞聖人降誕会が行われました。
演題は『超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かは 有漏の穢身はかわらねど こころは浄土にあそぶなり』の親鸞聖人のご和讃についてでした。
『なぜ生きる』のかについて紹介したいと思います。
大海の真ん中で あなたはどこへ泳ぐか私達が大海の真ん中にいるとしたら、どうでしょうか。泳ぎ方ももちろん大切なのですが、最も大切なのは、泳ぐ方角のはずですよね。むやみに泳げば、かえって島から遠ざかることもあります。人生もそれと同様に、一生懸命ただ生きればよいというわけではない、という法話でした。人と言うのは生きる目的こそ肝心なのだそうです。
では人はなぜ生きる?やはりこの問いかけに、誰もが真剣に耳を傾けていました。「生死の苦海ほとりなし 久しく沈める 我らをば 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ず 渡しける」 (親鸞聖人)
苦しみという名の波の果てない海に、永らく彷徨い続けてきた私達を、阿弥陀仏の本願の船だけが必ず乗せて渡してくだされると、親鸞聖人は仰せです。
そしてその浄土真宗親鸞会の「親鸞聖人降誕会」参詣者の言葉を紹介したいと思います。
「ガンを告知されてしまった患者さんから、『何を明かりに生きていけばいいのか分からない』と悲痛な思いを打ち明けられ、言葉につまったことを思い出しました。」
「こんなに苦しいのなら早く死んで楽になりたいと訴える人もあります。そんな人と接する度に、「なぜ生きるか」を知りたいと思っていました。」
「病院で働く人は、医師であれ看護師であれ、常に病気の苦痛や、死への不安を抱えた人と接する機会があるので、生きる意味や幸福について日頃からよく考えていなければならないと思います。しかし現実は業務に追われ、人生を振り返る余裕もありません。なぜ命を延ばすのか、苦しくとも生きねばならないのはなぜか、少しでも考えるきっかけになればと思いました。」
とのこと。やはり人はなぜ生きるのか、生かされているのかについて知りたいものなんですね。この浄土真宗親鸞会の行事がきっかけとなり、そういったことを学べること自体が幸せなことだと思います。
.jpg)