浄土真宗親鸞会について

浄土真宗親鸞会の行事などについて紹介していきます

関西にも、浄土真宗親鸞会の法城誕生!

 蓮如上人がご布教に通われ、今も真宗の盛んな兵庫県東部に、満を持しての浄土真宗親鸞会の会館が建立されることになったそうです。場所は、兵庫県西宮市。中国道宝塚インターから車で10分。大阪や京都からも足を運びやすい格好の地。講堂は約90畳、駐車場は1階になる予定と、浄土真宗親鸞会の機関紙『顕正新聞』に報道されています。

 念願の建立に、中心メンバーの男性は、「『顕正新聞』で各地の会館建立の勢いを見るたび、関西学徒の間でも『1日も早く!』の思いは膨れ上がる一方でした。完成したら、ご縁のある方をまず会館へ、そして宝塚インターから二千畳へとご案内するのが夢です」と、目を輝かせているとのこと。建立を推進してきたT支部長は、〝真宗難民〟があふれていることを肌で感じるそうです。2月の講演会に参詣した地元の門徒総代は、「寺の瓦の補修を門徒に呼びかけたら、これを機に廃寺にしようという意見が多く出て困っている。なぜこんなことになるのか悩んでいたが、寺が教えを説いていないからだと分かった」と語っていたそう。「こういう声は珍しくないのです。親鸞聖人の本当のみ教えが常に説かれる会館を皆が求めているのですから、建立を急ぎます」と支部長は意気込みを見せた、と記されています。

また富山県南砺市に夏に落成予定の、浄土真宗親鸞会南砺会館も、準備が着々と進んでいます。南砺市は、小矢部会館のある小矢部市のすぐ隣なのですが、「地元にもぜひ!」と南砺の親鸞学徒は燃えています。建立が建立を呼ぶ、親鸞会の勢いを感じさせる記事です。こんな声も掲載されていました。「寺なら、村や町ごとにあるじゃありませんか。その寺が親鸞聖人のみ教えを伝える本来の役目を果たさないのだから、私たちでやるしかない。まだまだ、これから大仕事が始まるんですよ」

浄土真宗親鸞会 花蓮会館と新岐阜会館!

福井会館に続き、浄土真宗親鸞会の会館が台湾にも誕生したそうです。『顕正新聞』12月1日号に紹介されていました。その名は、花蓮会館。台湾東部の花蓮市に、台湾初の法城です。1階に約40畳の講堂があり、2階には会合に使える広間と通訳控え室が、3階には講師が宿泊できる設備が整っているようです。花蓮会館の特徴は、道路に面した入り口が全面ガラス張りになっている点で、行事のとき、前をとおりかかれば、講堂の中がよく見えるところ。御仏壇の荘厳にひかれて、仏法を聞いてみたい!と思うように、という地元の学徒の願いが生かされています。仏間の書は、「現生不退」で、台湾学徒は、「念仏となえたら、死んだら極楽」と思っている台湾の人々に、「平生業成」の親鸞聖人のみ教えをお伝えしようと奮起している様子が伝わってきました。

花蓮会館の次に建立されたのは、浄土真宗親鸞会・新岐阜会館。建立されてより34年たち、長年愛されていた岐阜会館でしたが、内装を一新、駐車場も拡大されて、昨年11月、生まれ変わったそうです。仏間にかかげられている書は「摂取光明」。摂取光明とは、阿弥陀仏がすべての人を絶対の幸福に救うと約束されているお働きで、「摂」も「取」も「とる」ですが、「摂」は逃げ回っている者を追い詰めて、捕らえて、摂め取るという意味があるのだそうです。親鸞聖人は、摂取の光明にあい、救われた決勝点を「誠なるかなや、摂取不捨の真言」と『教行信証』に書いておられます。逃げ回っているものを救い摂る弥陀の誓願まことだった!という、聖人のお叫びです。人界受生の目的は、この摂取の光明にあうことであり、会館建立の目的もそれ以外にないことを、明記されていました。

福井にも会館!闇夜も輝く浄土真宗親鸞会☆

島根に続き、今度は福井県にも浄土真宗親鸞会の会館が建立されたそうです。機関紙の『顕正新聞』11月15日号に報道されています。仏間は100畳あり、二千畳に次ぐ会館だと地元の方は喜ばれているそうです。

その仏間に掲げられている大額は「平生業成」。「平生」とは、死後ではない、生きている現在ただ今のこと。今日、親鸞聖人のみ教えを「死んだらお助け」と誤解している人に、まずその誤りを正し、平生の救いを伝えなければならない。「業」とは、人間に生まれて果たさねばならない大事業。人生の目的は、難度の海を明るく楽しく渡す大船に乗ること。その人生の目的が完成することを「業成」と教えられている、と書かれています。落慶座談会・祝賀会では、この「平生業成」を開顕する浄土真宗親鸞会と、「平生業成」を説かずに衰退する寺の実態が浮き彫りになったそうです。

浄土真宗親鸞会福井会館の建立に尽力した親鸞学徒たちは、「昭和40年代にも会館の土地を探したほど、永年、会館ができるのを待ち望んでいました」という人、「福井全体の会館を建てるのが、学生時代からの夢だった」という人、「昔から、滋賀や岐阜に会館があるのに、なぜ福井にはないのかと残念に思ってきました。まず一つできたというのが何よりうれしい」など、喜びにあふれていることが伝わってきました。

今度は島根に!浄土真宗親鸞会の会館誕生☆

9月20、21日と、浄土真宗親鸞会 島根会館の落慶座談会・祝賀会が行われたそうです。この会館は、以前は病院だったとのこと。地元で50年にわたり、「やさしい町のお医者さん」として親しまれたS医師が、病院を会館にと提供されたそうです。肉体の病を治す病院から、三世にわたる心の苦を抜く法城へと生まれ変わり、昨年暮れに閉院した医院の診察室は、仏法を聴聞する大きな仏間となりました。

その仏間に掲げられているのが、「抜苦与楽」の書。この意味について、浄土真宗親鸞会の会長・高森顕徹先生からお話があり、『顕正新聞』10月15日号に記されています。すべての人が朝から晩まで努力している目的が抜苦与楽であり、仏教で抜くといわれる苦しみは、肉体の苦ではなく、「三世の業障」といわれるもの、との座談会の内容に、参詣者は建立の喜びをかみ締めたそうです。「県の中央に会館ができた意味はとても大きい。今度は私たちが、真宗難民に、弥陀の大船あることをどんどんお伝えしなくてはね」「近辺の皆さんが参詣しやすい環境をつくっていきます」などの喜びが、紙面からあふれています。

また、10月6、7日には、親鸞聖人の報恩講が行われたことも報道されています。演題は親鸞聖人の主著『教行信証』の冒頭の「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」のお言葉。全国各地で行われている『世界の光・親鸞聖人』のアニメーション上映会に参加した多くの人が、聖人のご苦労を知り、そのご恩にぜひ報いたいと浄土真宗親鸞会の親鸞会館・二千畳に駆けつけ、講堂は満堂の聴衆にあふれたことが伝えられています。

浄土真宗親鸞会 富山会館の船出!

今度は、富山にさらに新たな会館が落成したことが、浄土真宗親鸞会の機関紙『顕正新聞』9月15日号に報道されています。今回のこの富山会館は、富山県東部での初めての会館で、地元の親鸞学徒は、東へ法輪を拡大しようと意気込んでいるようです。

富山会館の大きな特色は、ヒノキの香り漂う講堂と、日本庭園、宮殿様式の荘厳な御仏壇、とのこと。特に、御仏壇は、浄土真宗親鸞会の親鸞会館・二千畳の御仏壇を手がけた方と同じ方が携わったものと聞きます。富山会館でも、二千畳と同様の宮殿様式にこだわった理由は「御仏壇に向かうと、御名号がスッと心に入っていく。そんなスッキリとした作りにあります」といいます。その富山会館で設けられた座談会では、宮殿は立派で申し分ないが、そこに絵像や木像では死んでしまう、御名号こそが真宗の正しい御本尊であることが明らかにされたそうです。

座談会参加者(浄土真宗親鸞会の学徒)は、「きらびやかな御仏壇が素晴らしいのではなく、御名号こそが尊いのだと分かりました」「親鸞聖人も蓮如上人も、木像や絵像を御本尊にされたことはなく、生涯、御名号のみを御本尊とされました。しかも、そのようになされたのは親鸞聖人が初めてで、聖人の真実開顕の、最も重要なところとお聞きしました。御本尊ほど大切なものはありませんから、富山会館に参詣された方には、御仏壇の前で、まずこのことを伝えていきます」と、使命に燃えているそうです。

浄土真宗親鸞会の会館建立ラッシュ!!

浄土真宗親鸞会の会館が、全国各地に次々と建てられています。6月末には、十勝帯広会館の落慶祝賀会が行われ、北海道全土へ弥陀の本願を伝えようと誓ったそうです。また、広島にも建立が決まりました。広島市安佐北区の中心地で、鉄骨三階建て、60畳の広さがあるそうです。広島の親鸞学徒は、「先祖代々浄土真宗でありながら、死ねば誰でも極楽という十劫安心の邪義しか聞かされてこなかったのが、今の安芸門徒です。だからこそ、『あの会館に行けば、本当の親鸞聖人のみ教えが聞ける』ということを一刻も早く知らしめたい」と奮起しています。

また、浄土真宗親鸞会の本部がある富山にも、また新たな会館が作られることになりました。その名は、南砺東会館。南砺市焼野というところで、蓮如上人ゆかりの井波別院があり、赤尾の道宗が元旦の勤行に間に合うよう、豪雪をかき分け、上人の元に参じたことは今に語り継がれています。「かつての真宗王国をよみがえらせよう」と地元学徒は燃えているとのことです。

そして、7月末には、鳥取米子会館が落成、座談会と祝賀会が行われたと、浄土真宗親鸞会の機関紙『顕正新聞』に報道されています。座談会では、仏間の大額の「光寿無量」について高森顕徹先生のお話があり、「光明無量、寿命無量の阿弥陀仏が、すべての人を救うために、南無阿弥陀仏の大船をつくられた。その船には全人類が乗っても、どこにいるやら分からないと教えていただき、想像を絶する大きさに感嘆しました」と参加した学徒は喜びを語っています。全国各地に次々と会館が建立され、まさに会館ラッシュのようです。

正統と異端の大転換期! 浄土真宗親鸞会

「浄土真宗の正統を示す」のタイトルが1面を飾った浄土真宗親鸞会の「顕正新聞」(7月1日号)。浄土真宗の教えの正統と異端が、逆転しようとしている、と全国各地での現象をあげて書かれています。

鳥取県のMさん、Yさんは、浄土真宗親鸞会会長の高森顕徹氏の書かれた『親鸞聖人の花びら』藤の巻「聖人が名号を本尊とされた根拠は何か」の説明を聞いて、思わず、「これは早く御名号にせんといけんわ」「何でこんな大事なことを寺は教えないんだ?もう寺には参らんでいい!」と声をあげたそうです。また岐阜県では、真宗住職が『花びら』の勉強会を毎月受講し、「正統な教え」の理解を深め、「後生について親鸞聖人は、こんなにハッキリ書いておられるのに、大谷派の学者らはどこをどう読んで『後生はない』などと言っているのか」と憤りを隠せないでいるようです。

福岡県の僧侶は、自著の参考文献に『歎異抄をひらく』をあげ、「高森顕徹先生は、やはり安心して読めます」とコメントしています。富山県の講演会では、住職が毎月参詣、「『歎異抄をひらく』ほど、聖人の教えどおり忠実に『歎異抄』を解説された本はない」と絶賛しているとのこと。アメリカ、ロサンゼルスの知識人も、「浄土真宗親鸞会は、最も正確に明らかに、親鸞聖人の教えを伝えている唯一の団体だと思います」と語っています。浄土真宗史における大転換期にあるようです。

100畳の大法城 浄土真宗親鸞会「北海道会館」 

浄土真宗親鸞会発行の『顕正新聞』には、毎号、新たな会館の建立が報道されています。先回は鳥取会館について書きましたが、今度は十勝帯広会館に続き、札幌市に念願の「北海道会館」が産声をあげたそうです。3階建てで、仏間は約100畳。札幌南インターから車で5分、JR新札幌駅からバスで10分と交通の便も非常によいようです。

「紆余曲折を経て、素晴らしい会館が誕生して本当によかった。ここなら大きな声で勤行ができるし恩徳讃も歌えます。今こそ真実をお伝えする秋(とき)です」「先日の札幌の勉強会に、『毎日拝読している正信偈の意味が知りたい』という方が足を運ばれました。真宗難民を受け入れる準備を急がねばなりませんね」など、北海道の学徒は結束していると書かれてあります。

そして、5月19、20日は、親鸞聖人降誕会が、浄土真宗親鸞会の親鸞会館で行われたことも紹介されています。演題は、「五濁の時機いたりては 道俗ともにあらそいて 念仏信ずるひとをみて 疑謗破滅さかりなり」のご和讃。恒例の弁論大会は、学徒となって1年未満の人が次々に遇法の喜びと伝える決意を発表、聖人の本当の教えを求める「真宗難民」が、急速に群参していることを象徴する大会となったと記されています。浄土真宗の正しい教えを求める真宗難民が、各地の浄土真宗親鸞会の会館で真実に出遇い、二千畳に続々と参詣している様子が伝わってきました。

浄土真宗親鸞会「鳥取会館」も誕生!

浄土真宗親鸞会の島根会館に続き、山陰地方で2番目の会館となる「鳥取会館」が誕生した、ということが『顕正新聞』4月15日号に紹介されています。

鳥取西部の中心地、米子にあるそうです。長らく、地元の親鸞学徒の法味愛楽の場となってきたS夫婦の別宅だったが、各地での会館建立の機運が高まるにつれ、その別宅を最初の拠点に、「まずスタートを切ることが肝心」と決断したといいます。「30年以上も前、鳥取に初めて布教に来た浄土真宗親鸞会の講師が、宿もなく、車で寝泊りしながら一生懸命仏法を伝えておられた姿に感服したのです。せめてまっすぐな床で休んでいただきたいと思って提供して以来、ここが鳥取の法城となりました。たくさんの親鸞学徒が育ち、こうして今、会館にまでなり感無量です」と提供したSさんは大変喜んでいるようです。

各地に浄土真宗親鸞会の会館が建立されており、とどまることを知らないようです。京都にも会館をつくりたいと、京都の学徒は、富山会館を拝観し、「いろんな会館を拝観するたび、次は京都に!の思いが強くなります」と意気込む様子も報道されています。

氷見西会館 落慶! ~浄土真宗親鸞会~

浄土真宗親鸞会、氷見西会館が産声をあげたことが、『顕正新聞』に報道されています。Yさん親子が、長年親しまれた旅館を会館に、とお布施されたものだそうです。その経緯が書かれていました。

Yさんが、お母さんに誘われて、前田町(富山県高岡市)の会館(浄土真宗親鸞会初の会館)で仏縁を結んだのは約40年前のこと。「平生業成」のご説法に、「この世で弥陀に救われた、ということがある!無碍の一道といわれる、そんな素晴らしい世界があったのか、と衝撃を受けました」と語っています。子供の頃から寺の境内で遊び、友人に寺の息子も多くあったが、「平生業成」の意味を聞くこともなく、「平生の行い」と思っていた。「聖人のみ教えの一枚看板なのに、寺はなぜ伝えないのか」と疑問を抱くようになったといいます。

旅館を始めたおじいさんも、熱心な門徒だったそうです。朝晩の勤行を欠かさず、寺の世話役をしていたが、「生きる目的を知らされず、村起こしに命を費やしました」とYさんは語っています。戦後の娯楽のない時代、そのおじいさんは、有名力士を招いて大相撲を開催したり、文化会館を設立し、映画館、劇場として活用したりして、旅館は毎日、青年団、銀行、役場、農協などの宴会が催され、「東京でいえば、銀座のようなにぎわいやったね」と近所の人は懐かしむそうです。

Yさんは、「公益のために、どんなに一生懸命でも、生きる目的を知らなければ、報われない。平生業成を知らず、祖父が逝ったことが、悔やまれてなりません。氷見の人には、祖父の二の舞いを踏んでもらいたくない」と、会館を拠点に一対一の法施を誓っています。昨年まで旅館を続けてきたYさんのお母さんは、「広く親しまれた旅館を縁に、より多くの人が仏縁結ばれることを念じています」。近所の70代の女性は、浄土真宗親鸞会 氷見西会館建立の知らせに、「この辺りには仏法を聞ける所がないから、みんな喜ぶでしょうね。誘い合わせて、お参りさせてもらいます」と、言っているそうです。