浄土真宗親鸞会について

浄土真宗親鸞会の行事などについて紹介していきます

浄土真宗親鸞会 テレビ座談会で拠点続々!

昨年10月、浄土真宗親鸞会テレビ座談会が始まって以来、各地に続々とその拠点が誕生しているそうです。顕正新聞2月1日号に、その様子が紹介されていました。




福井県の大野市は、40数年前から高森先生がご布教された地だそうですが、これまで拠点がなく、テレビ座談会をきっかけに、18番館(支部の会合室)ができました。親鸞学徒の皆さんが自ら、お仏壇を洗濯されたり、ケヤキの木で看板を作られたり、掃除や障子の張り直しなど、自分にできることをさせていただきたいと力を合わせたそうです。





東京のど真ん中、新宿にも36畳のミーティングルームが誕生したと書かれてあります。埼玉のミーティングルームでは、テレビ座談会のあと、親鸞学徒が集まる心のより所ができ、思う存分に信心の沙汰をしているそうです。岡山では岡山親鸞教室、和歌山にもミーティングルームが新設され、時間を気にせず、周囲へ気兼ねもなく、仏法の話ができると喜んでいるようです。





学徒の絆が一層深まって、聞法者もますます増えているとのこと。浄土真宗親鸞会の明るい未来がうかがえました。

テレビ座談会で 法輪拡大の親鸞会

新型インフルエンザ流行の影響で、2千畳の聞法道場に集まれない中、浄土真宗親鸞会では、布教革命ともいうべき「テレビ座談会」のはじまりで、全国各地、そして全世界へ同時に、真実の仏法が発信される体制が整えられ、法は確実に浸透しています。






親鸞会会員のSさんは、実家でテレビ座談会を開こうと、富山から福島へ帰省しました。当日はだれよりも早く起きて、会場の準備を整え、廊下や玄関の掃除をしたそうです。高森顕徹先生のお声が実家に届いた時には、「全国各地、世界中がつながっていてすごいね!」と大歓声!因果の道理のお話を聞いて、お母さんは、「未来は自分の行為によって変えられるんだね。仏法がこんな教えだなんて、知らなかった。もっと聞きたいわ」と言われていたそうです。お父さんも『教学聖典』やその解説書を読まれて、「なんでもっと早く教えてくれなかったんだ。こんな本があるのなら、もっと見せてほしい」とのこと。素晴らしいですね。日本全国各地で、実家でテレビ座談会を行う人がどんどん増えています。







また、地球の裏側といわれるブラジルでも、同じ時間にテレビ座談会を聞かれています。とはいっても、時差があり、日本時間の10時~16時は、ブラジルでは、夜11時~朝の5時。まさに昼夜逆転です。しかし、ブラジルの親鸞学徒の皆さんは、「地球が小さくなりました。日本がすぐ隣に思えてきます!」と喜びいっぱい。報恩講では、約40名が徹夜で聞法、中には92歳の女性もあったと聞きます。







その他、ニューヨーク、シアトル、カンザスなどアメリカの各都市でも開かれています。
画期的な布教革命。法輪はものすごい勢いで拡大しています。

浄土真宗親鸞会 真実開顕の新時代 到来!

10月25日、浄土真宗親鸞会は、電話会議システムによる電話座談会を開催、真実開顕の新時代が到来し、親鸞学徒は歓喜にわいていると11月15日号の『顕正新聞』で紹介されています。


電話会議システムとは、3台以上の電話をつなぎ、同時に会話のできる新たなシステムです。これを利用して、座談会が設けられ、親鸞聖人のみ教えが胸から胸へ、どこに居ても電話線あれば、届けられることになったのです。


この方法で報恩講も11月7、8日全国各地はもちろん、世界各国で行なわれ、親鸞学徒の1人は、このように熱く語っていました。「新型インフルエンザ流行拡大の中、社会では、どうやって企業の生産性を落さないか、学校の授業時間を確保するか、と悩んで対策を考えている中、浄土真宗親鸞会は、参詣者が減るどころか仏法とのご縁に遇える人が増え、高森顕徹先生から直接聞かせて頂けるご縁も逆に増えたことになり、まさに転悪成善、今の社会状況からは考えられないことではないかと感じた」と。


寝たきりで富山の二千畳に来れない方も、年を重ねられどうしても富山へ移動できない方も、電話会議システムで仏縁を求めさせていただける。海外であっても、聞法できる。まさに転悪成善。「すべてを生かすものが仏法。科学技術の進歩を真実の進歩に転ぜねば、親鸞学徒の使命は果たせない」と、浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えを正確に、速やかに、1人でも多くの人に伝える使命に生きています。

浄土真宗親鸞会 教学熱は海外へも

浄土真宗親鸞会 発行の『顕正新聞』 11月1日号に、台湾で初めて、大導師に合格した親鸞学徒があらわれたことを紹介されていました。





10年前から聞法を始め、今はビデオ講師として各地で法話を開くYさんは、教学は5年前、教学講義のビデオ受講をきっかけに始めたそうです。高森先生が言葉を厳密に選び抜いて説かれる様子を肌で感じたが、日本語が思うように理解できず悔しくてならなかった。教えを正しく、より深く受け止めるために、日本語塾に通い、『教学聖典』の研鑚を始めた。毎朝5時に起床し、『聖典』を覚える。2週間に1冊のペースで受験し、『聖典』z$まで合格。以来、大導師試験に向けての勉強を開始したが、350題の暗記は簡単ではなかった。何度筆記しても、ご和讃など、平仮名が多いご文は覚えられない。古文がどこで切れるのか分からず、意味もおぼつかない。平仮名の配列を覚えるだけの苦しさに、あきらめの心も出てきたが、そのつど「教学は聴聞」のお言葉を胸に、勉強を続けた。
 6度目の挑戦となった9月の大導師試験で、ついに合格を果たす。「ようやく、ですね。教えを正しく伝えられるよう、これからも研鑚に励みます」と満面に笑顔を咲かせた。


と書かれていました。



日本語が分からないところからスタートし、6度目の挑戦となってもあきらめず、試験に臨む姿に感動しました。そうまでしても、求めずにおれないものが、仏法に教えられている、ということですよね。親鸞会では教学が多いに勧められていて、台湾はじめ、ブラジル、韓国、アメリカなど世界中で親鸞聖人のみ教えが学ばれているそうです。すごいですね。

浄土真宗親鸞会 ・ 珍しき法を弘めず

浄土真宗親鸞会の機関紙 『顕正新聞』に、親鸞学徒の本道について書かれてあったので9月15日号の「論説」から紹介します。







浄土真宗、親鸞聖人、と聞くと、親鸞聖人独自の教えがあるのだろうと思う人が多いようですが、そうでなく、「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」と聖人はつねに仰って、誰も説かなかった新しい教えは全くないと確言され、釈迦の教えた仏教をそのまま伝えられたとおっしゃっておられます。







このお言葉は、一体誰に対して言われたものか、次のように書かれていました。第一は、聖人を八方総攻撃した者たちへの反撃。「親鸞は間違ったことを教えている」「仏教を破壊する悪魔だ」「破戒僧、狂人、あれは仏法ではない」と、あらゆる罵詈雑言が聖 人の教えに浴びせられた。かかる誹謗の輩には「親鸞の言うことが仏教と違うなら、どこが違うのか、根拠を出せるものなら出してみよ」と、満々たる自信で反撃されているお言葉といえよう。






次には、親鸞学徒に対しての戒めであると、書かれています。「釈尊の教え以外、説いてはならないよ。伝えてはならないぞ」というご教示。珍しい話をして、「誰も教え てくれないことをあの人は教えてくれる」と関心を引こうなど、ゆめ考えてはならない。親鸞でさえ、仏教以外に伝えていないのだから。私事などの話をするの はもってのほかだと、教誡なされている。






最後には、聖人ご自身に言い聞かせられたお言葉と拝察される。誰も言えないことを言いたい、誰も知らないことを知ったかぶりして話したいのが、名誉欲 。そんな名誉欲が大山ほどあって迷惑していると、聖人は懺悔され、「珍しいことを言うなよ」と、常に自ら言い聞かせられた。









聖人のみ跡を慕う親鸞学徒は、親鸞聖人のみ教えを、必ず提示して、分かるようにお伝えする。だから、親鸞学徒の常訓は「我ら親鸞学徒は更に珍らしき法をも弘めず 親鸞聖人のみ教えを我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」であり、朝晩のお勤めで唱和するのだそうです。


浄土真宗親鸞会・顕正新聞

浄土真宗親鸞会が発行している「顕正新聞」ですが、ここでも何回か紹介してきていますよね。その浄土真宗親鸞会が発行している顕正新聞の21年7月1日号に蓮如上人に次の言葉が紹介されていましたので紹介します。

蓮如上人仰せられ候、「方便を悪しということは、あるまじきなり。方便を以て真実を顕す廃立の義よくよく知るべし。弥陀、釈迦、善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる」由仰せられ候。

「嘘の方便」ときくと、【方便=嘘】と思ってしまう人が多いと思いますが、それは誤解だそうです。方便とは、真実に近づき、真実を体得するのに必要なことなのだそうですから。

そして同じく顕正新聞の21年7月1日号に源信僧都の言葉も紹介されていたのでこれも紹介したいと思います。

「まず三悪道を離れて人間に生るること、大なるよろこびなり」

地獄・餓鬼・畜生の三悪道を離れ、人間に生を受けたことはどれほど喜んでも過ぎることはないと源信僧都は『横川法語』に教えられているのです。ところが、その“喜び”どころか、人生をも呪い「生まれてこなければよかった」「なぜ生きなきゃいけないのか・・・」と、受けた生に自らピリオドを打つ人が日本だけでも毎年3万人を超えているのです。生命の歓喜がないのは明らかですが、その人達が「生まれてよかった!」という世界を説く仏法を知らなかったからでもあるといえるでしょうね。

私はおそらく最初に知ったと思われる仏教用語、「南無阿弥陀仏」という言葉から仏教へ入門することとなったわけですが、今は親鸞会でいろいろなことを学んでいくうちに、本当に人生は素晴らしいなと思うようになりました。

浄土真宗・親鸞学徒の未来は

「真宗の危機は人類の危機」と受け止め、立ちあがった浄土真宗親鸞会
浄土真宗離れが進んでいる現代、いかに親鸞聖人のみ教えを正しくお伝えするか、これ一つを目的としているのです。親鸞会の活動というのは、この一点のみになされているのです。

ですから親鸞会では、「親鸞聖人はここに、こうおっしゃっている」と、常に聖人のお言葉を示す覚如上人、または蓮如上人のように、親鸞聖人のみ教え一つを伝えることを最も
大切なこととしています。
この自覚は常に忘れてはいけないのですね。

今までも、今も、今からも、この親鸞学徒の本道を進む限りであり、浄土真宗の発展は無限でしょう。
親鸞聖人のみ教えにはそれだけ限りなく尊く、深く、重い、類いなきお力があるのです。まず親鸞聖人のお言葉を明示でして、その正しい御心を徹底していく。浄土真宗と全人類の輝ける未来は、この一点にかかっていると言っても、決して過言ではないのです。

まだ縁の浅い私が、今すぐ「真の親鸞学徒」となるというのは難しいかも知れません。でも親鸞学徒でありたいといつも思っております。因果応報という言葉がありますが、悪い種をまけば悪い実がなる、いい種をまけばいい実になる。親鸞学徒であることは、いい種をまいているのだと思っております。

ちなみに因果応報とは字をばらしていくと『因』は原因、『果』は結果、『応』はこたえる、『報』はむくいるということで、原因によって結果が生じるという意味になるのだそうです。こんな身近な言葉の存在を教えてくれたきっかけとなったのも、浄土真宗親鸞会でした。

浄土真宗親鸞会が今あるのは

浄土真宗親鸞会の過去の行事である平成20年11月8日(土)9日(日)、親鸞館で親鸞会結成50周年大会が行われました。

その日は「恩徳讃」についてご講演がありました。

【恩徳讃】
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし(親鸞聖人)

この親鸞聖人のお言葉について、高森顕徹先生は2日間講演をされました。日本全国に限らず、アジア各国やアメリカ、そしてヨーロッパ、ロシア、遠くに至ってはブラジルからも親鸞学徒が参詣し、2000畳の大講堂にも入りきれず、廊下やロビーまであふれるほどでした。本当にすごいです。そして2日目の午後は、50周年記念弁論大会が行われ、7人の弁士が熱弁を振るい、大講堂は熱気に包まれていました。

今の時代、相次ぐ無差別殺人や暴力や虐待、そして一向に減らない自殺など、21世紀を迎えた今日も、人類は混迷の度を深めていると思いますが、この日ほど、世界の光である親鸞聖人のみ教えが、全世界の人々に待望されているときはないかと思います。

親鸞聖人のみ教えを正確に学び、そして信じ伝える人を「親鸞学徒」と言うのですが、この親鸞学徒の唯一の使命を忠実に、ひたすら実践なされた方が、覚如上人であり、蓮如上人でありました。

まさに覚如上人や蓮如上人は、我々親鸞学徒の鑑であり大先達であるのです。これらの善知識方が指授され、まっしぐらに歩まれた道をひたすらに実行する限りは、私たち親鸞学徒の未来は限りなく広く光り輝くことでしょう。覚如上人や蓮如上人が、あれだけ多くの著書や御文章などで教えられていることは、常に親鸞聖人のみ教え以外にはありません。種々、言いたいこともあったでしょうに、両上人ともご自身のことは全くおっしゃってはいないのです。蓮如上人は、深く親鸞聖人のみ教えを信じ、専ら日本全国に聖人の教えの徹底のみに全生涯を懸けられました。

常に聖人のお言葉をハッキリと提示し、懇切丁寧に親鸞聖人の教えを説き明かす・・・。そのようになされたからこそ、日本中に浄土真宗が堅実に深く浸透していったのです。浄土真宗親鸞会ももちろん親鸞聖人がおられたからこそ、今ここにあるのですね。

浄土真宗親鸞会・顕正新聞の内容より

過去の顕正新聞より気になる記事があったので紹介したいと思います。
涙の底で会えた光より

圭子さん(仮名)は夫である雄一さん(仮名)を交通事故で失ってしまった。当時、夫は30代半ばと言う早すぎる死。

深夜1時半に突然の電話。驚いて雄一さんの布団に目をやると、まだ帰っておらず・・・体が震え、急いで外へ出ると警察官やパトカーが集まっていて、雄一さんはすでに救急車で運ばれていたそう。

なんと自宅まで50メートルもなかったとか。雄一さんの従兄弟と別れた直後に、無灯火の車が時速50キロで雄一さんを直撃してしまい、雄一さんは後頭部が裂け、内臓破裂を起こして即死。

そして夕方にようやく、雄一さんの遺体は自宅に戻り、「帰ってきたよ……」という親戚の声に、圭子さんがその棺を見た瞬間、腰が抜けたそうです。「現実なんだ」と。

事故のショックから、身内も入退院を繰り返すようになり、圭子さんは家事と仕事と看病で悲しみを紛らわしてはいたけど、どうしても1人になると仏壇前で、「どうして死んじゃったの」と泣き崩れていたのだそうです。それを見て「親鸞会のお話を聞きに行こう」と、雄一の従兄弟の妻・友江さん(仮名)に誘われたそうですが、しばらくは苦しすぎて聞けなかったのだとか。

そして数年後にずっと圭子さんを気遣ってくれてきた勤め先の社長夫妻。そして新たな地獄の始まりが。圭子さんはある日、会社の資金繰りで社長夫妻から相談を受け、夫の保険金から快くお金を貸して・・・逃げられてしまい、信じていた人からの裏切りを受け、また辛い日々が始まる。

そして友江さんが持ってきてくれたビデオで、親鸞聖人の「難思の弘誓は難度海を度する大船」のお言葉を初めて聞いた圭子さん。海に浮いている丸太のような幸せは頼りにならぬ。裏切られては苦しむ、その繰り返しだと聞き、まさにそれは自分の姿だと思ったそうです。

「そんな苦悩の海を、明るく楽しく渡す大きな船がある」と、高森顕徹先生が黒板に大船をかかれた時、堰を切ったように涙があふれ出し、一生懸命タオルで涙をふいている圭子さんの姿があったそうです。

この浄土真宗親鸞会のビデオを見る機会がなかったら。ずっと見れないと避けていたら。圭子さんはずっと救われていなかったでしょうね。親鸞聖人の教えは本当に人を救うのだなと思いました。圭子さんは仏教用語すらまともにわからなかったのに、それから親鸞学徒になられたそうです。

浄土真宗親鸞会の行事

平成20年6月7日(土)8日(日)親鸞会館で、親鸞聖人降誕会が行われました。

演題は『超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かは 有漏の穢身はかわらねど こころは浄土にあそぶなり』の親鸞聖人のご和讃についてでした。

『なぜ生きる』のかについて紹介したいと思います。
大海の真ん中で あなたはどこへ泳ぐか私達が大海の真ん中にいるとしたら、どうでしょうか。泳ぎ方ももちろん大切なのですが、最も大切なのは、泳ぐ方角のはずですよね。むやみに泳げば、かえって島から遠ざかることもあります。人生もそれと同様に、一生懸命ただ生きればよいというわけではない、という法話でした。人と言うのは生きる目的こそ肝心なのだそうです。

では人はなぜ生きる?やはりこの問いかけに、誰もが真剣に耳を傾けていました。「生死の苦海ほとりなし 久しく沈める 我らをば 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ず 渡しける」 (親鸞聖人)

苦しみという名の波の果てない海に、永らく彷徨い続けてきた私達を、阿弥陀仏の本願の船だけが必ず乗せて渡してくだされると、親鸞聖人は仰せです。

そしてその浄土真宗親鸞会の「親鸞聖人降誕会」参詣者の言葉を紹介したいと思います。

「ガンを告知されてしまった患者さんから、『何を明かりに生きていけばいいのか分からない』と悲痛な思いを打ち明けられ、言葉につまったことを思い出しました。」

「こんなに苦しいのなら早く死んで楽になりたいと訴える人もあります。そんな人と接する度に、「なぜ生きるか」を知りたいと思っていました。」

「病院で働く人は、医師であれ看護師であれ、常に病気の苦痛や、死への不安を抱えた人と接する機会があるので、生きる意味や幸福について日頃からよく考えていなければならないと思います。しかし現実は業務に追われ、人生を振り返る余裕もありません。なぜ命を延ばすのか、苦しくとも生きねばならないのはなぜか、少しでも考えるきっかけになればと思いました。」

とのこと。やはり人はなぜ生きるのか、生かされているのかについて知りたいものなんですね。この浄土真宗親鸞会の行事がきっかけとなり、そういったことを学べること自体が幸せなことだと思います。